けんぽの部屋
2025年03月11日
「私のダイエット体験記 ~17年前の一大決心~」 健保 常務理事 六田忠志

仕事がら産業医の先生とお会いすることもあり、先日、前本先生と話をする機会があった。

前本先生は、17年前(自身39歳の時)、ダイエットをするきっかけを作って頂いた恩人で、改めて御礼とその時の話をさせてもらった。前本先生から、この話、ぜひ健保加入者の皆さんにも広めたらどうか、と提案を受け、今回、けんぽの部屋で書かせて頂くことにした。

 

私は、若い頃から肥満気味で、お酒は1滴も飲まないのに、血液検査で、肝機能を示す値(ガンマGPT)がD判定で、専門医で「脂肪肝」という診断を受けていた。

36歳のときフラットパネル事業部(今のD材事)で台湾駐在を命じられた。平日は、顧客との会食や日本からの出張者との打合せを兼ねた会食など、連日外食、また、週末は家族と夜市でB級グルメを堪能という生活を送っていた。小籠包、角煮、海老チリ、炒飯、胡椒餅・・全てハオツー(おいしい)だった。

3年弱の駐在が終わり帰国。帰国後健診を受けて健室から呼び出しがかかった。駐在前80㎏後半だった体重は、95㎏超、100㎏目前となっていた、しかも、ガンマGPTが超異常値となっていた。自分の体調的には何の問題もなかったので、まあ、しょうがないかなー、位に思っていたが、前本先生から「なんでここまで放置したのか、海外出張を禁止しますよ、すぐ専門医へ行きなさい!」と厳しく指導を受けた。駐在終了後も、月1回程度、海外出張は必要で、それを禁止されては仕事にならないので、すぐに、紹介された新橋の慈恵医大病院を受診した。

血液やエコーの検査結果を見た慈恵医大の先生から衝撃の一言が発せられた「お子さんはまだ小さいんでしょ」。この人何言っているの?頭が真っ白になった。「このままだと、肝硬変、肝臓がんに進む」と告げられ「若いんだから、薬ではなく痩せて内臓脂肪を落としなさい」と言われた。

病院からの帰り道、子どもの、家内の、顔が目に浮かんだ、“やるしかない”という気持ちになった。

テレビ等で見たダイエットの知見から自分なりにルールを作った。

➀ 夕食のご飯は茶碗半分。おかずは油物を控える。夕食は20時までに終える。20時までに終えられない場合は、罰として「夕食抜                                き」とする。

➁ 昼食は外食を控え社員食堂とする。朝食は制限なし、何を食べてもOK。

➂ 間食はやめる。ただし、誕生日等の特別な日のケーキはOK。

➃ 運動をほどほどに増やす。

スタート当初は、お腹がすいて、夜寝られない日が続いたが、2週間ほどで慣れてきた。夜、起きているとお腹がすくので、むしろ早く寝るようになり、朝早く起きて、朝食をしっかり食べるようになった。家内も大いに協力してくれ、カロリーを意識した食事を用意してくれた。夜遅くなるときは、会社近くで食事(並盛牛丼&サラダでご飯を少し残す)をして、仕事に戻った。仕事が忙しく「夕食抜き」となってしまったこともあった。これも自分で決めたルール、守るしかない。

間食をやめるために、会社の席近くの人に「お菓子食べません」宣言し、家では、ゲーム感覚で子供たちに「お菓子を食べているのを見つけたら1万円あげる」と発表した。当時、小学生の子供たちは、おもしろがって、ダイニングテーブルの上に、クッキーやドーナツを並べて、廊下から、帰宅する私を覗いていた。何日かすると、それはなくなり、手紙がおいてあった「ダイエットがんばってね!」。涙が出た、こんなところで人生を終えるわけにはいかない、決意を新たに取り組んだ。

運動は強制すると長続きしないと思ったので、やれるときにやる、という程度にした。近所の中学校でバドミントンコートの開放日があり、長女が一緒に行ってくれた(長女はそれがきっかけで中学のバトミントン部に入った)。たまに、平日の夜や週末、多摩川でランニングもした、義務化せず、ゆるーくやったが、それなりに楽しくなり、ダイエット後も継続し、フルマラソンにも挑戦することができた。

自分で決めたルールを守り、家族の支えもありながら、苦しいこともあったが、毎月、2~3㎏のペースで体重が落ちていった。数字で結果が出ると嬉しいもので、やる気をおこさせてくれた。それを8ケ月継続し、23㎏減の体重73㎏にまでなった。慈恵医大での血液検査で、ガンマGPT値が急激に下がり、先生に褒められ、学会発表のネタにすると言われた。体調を考え、ダイエットはこれくらいにしておきましょうーと言われ、私のダイエット生活は終了した。

その後、17年間で体重は、4~5㎏戻ってしまったが、何とか“ちょっと肥満気味”で踏みとどまっている。スーツがぶかぶかになり買い替えるという痛い(うれしい?)出費はあったものの、健康面では特に不調はなく、仕事もプライベートも滞りなく生活ができている。

健康を考えることが仕事の健保への異動は運命的なものを感じている。これからも、自分自身の健康を意識し、健保加入者みなさんの健康と笑顔を支えられるよう、がんばっていきたいと思う。

改めて、産業医 前本先生と、慈恵医大の先生には感謝申し上げたい。

 

台湾駐在のころ                                                                ダイエット後(6年前)